index< 日誌 < y肉体 < 24a-36肉体の記憶 3 「別世界」p8 |
錯覚が観念の世界で抽象化され、それが歴史と現実の中で残り続けたのが、私たち人間の生活様式なのである。そして、そうでないものは歴史の中で残り続けることが出来ずに消えて行ったのである。 すなわち、これが自然選択なのである。そしてまたこれが、現実世界の中で取捨選択されて来たということ自体が、現在の私たちの現実を作り出しているのである。 人間にとっての自分の肉体はただ一つしかなく、また、人間が生きている現実といったものも、一つの空間的・時間的な瞬間に過ぎず、それらの連続した延長に過ぎないのである。 そうだとすると、生きている人間の全活動、その仕草と表情、行為といったものも、その延長線上において始めて意味のある現実なのであり、また、これが自分と現実との間の唯一の意味ある関わり方となっているのである。 |
戻る。 続く。
index< 日誌 < y肉体 < 24a-36肉体の記憶 3 「別世界」p8
2019-0513-0516