index< 日誌 ag儒教< 24a-66くり返し 5 「盲目的従順性」p10

2、前提。


しかし、ここで「繰り返し」の意味をもう少し掘り下げて見る。ここにおいて東アジア世界と欧米の世界との間に根本的な違いが見られるからである。これは日本においては、権威と権力に対する盲目的従順性と集団的協調性に現れている。

このような世界にあっては、個人が集団の中で理没して消失し、集団として群れて媚びて団結することが、この世界での処世術であり、生きて行くための不可欠の条件になっている。

そしてまた、そのための身分的な上下の主従関係を必須のものとして、ここに生きるすべての者を縛りつけているのである。要するに、自分の考えなど始めから何もなく、また、それ以前に自分の考えなど持ってはならないと信じている。そうした世界なのである。

顕著な日本的特徴としてのケイレツと談合、そして察しと気配りの「和の精神」がそうである。要するに、自分たち日本人でない者が居てもらっては困る、ということである。

戻る。                 続く。

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2019-0523-0526

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