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6、合理性。


学校教育も、企業の統治システムも、そしてこの世界全体の仕組みがそうなのである。そしてこれは、この世界全体がこのようにして創られてきたということ
なのである。そうするしかなかったのである。

精神的に未熟なままで、欧米の水準へと経済発展を進めて行くには、そうするしなく、また、そうすることが最も効率的で合理的だったのである。そしてこの、効率と合理性が戦後20世紀後半の日本の正義となったのである。

そしてこれが教育と企業の、そしてここで生きる者にとっての最大の目標となったのである。望まれ求めらる自意識のカタチとなったのである。そしてこれが上下の身分的人間関係に正当性を与え続けてきたのである。

しかし今日、効率も合理性も何か特に意味のあることでは無くなっている。むしろ世の中の前進を阻む「足かせ」となっている。時代がそれを求めなくなったのである。どこかで正義の概念が変わってしまったのである。

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2019-0523-0526

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