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8、教祖。


絶対的権威としての「首領様」を頂点にして、すべての人間関係が決定される。そしてこれが秩序であり、正義であり、常識なのである。そしてまた、それが何よりも絶対的に正しく、自分たちの生命よりも大切な、自分たちにとっての「最高尊厳」なのである。

この世界にあっては「個人」など存在しない。存在するのは首領様という最高尊厳だけなのである。首領様を頂点にして、統治のための様々な国家機関があるが、これは大して問題にならない。どのような統治のシステムと採用したところで、その形式に関係なく目的が優先されるからである。

目的とは、人間同士の間の上下の関係のことである。これだけが自分に居場所と存在の意味を与えてくれるのである。これがすべてであり、これだけなのである。そして、ただこれだけのために何もかもが統べられているのである。従って注目すべきは、この統治のシステムなどではなく、むしろこの首領様と個人との関係である。

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2019-0523-0526

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