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3、でっち上げ。


しかしそれは、悪者にされる社会的弱者のことであって、逆らえない弱い立場の、そしてどこかみんなと違う者であれば誰でも良いのである。これは冤罪であり、デッチ上げなのである。しかしまた、だれもが願い求めるデッチ上げなのである。

それは、大多数の「自分たち」が自分たちであるための証明であり、条件なのである。頭の中がカラッポの人間は、そうして自分を確かめる以外にないのである。また、そうしてカラッポのままで生きて行くことが出来るのである。そしてこれが何よりも幸福なのである。

いままでもそうだったし、これからもそうであり続けるのである。また、そうした生き方しか知らないのである。そのようにシツケられ教育されて来たのである。自分たちが自分たちであり続けるには、そうでなければならないのである。そしてこれが、世の中全体の仕組みなのである。

戻る。                 続く。

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2019-0523-0526

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