index< 日誌 ag儒教< 24a-68くり返し 7 「首領様」p6

5、プライバシー。


学校教育も、企業のシステムも、そしてこの世界の文化と社会のシステム全体がそうなのである。それは、このようにして、この社会全体が創られてきたということなのである。

そもそも、自分の中で自分を省みる、精神の自由が自覚されることのない世界において、自己と他人の区別といったものが限りなく曖昧なのであって、また、そうした曖昧さと情緒的な気分だけで何もかもが理解され納得もされる世界なのである。

自己と他者の区別が曖昧であること、そしてこれが精神の自由を拘束すると共に、自分自身の人権とプライバシーの理解を困難にしているのである。自己と他者の区別のないところに、人権も人格の概念も存在し得ず、理解されることもないのである。

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2019-0523-0526

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