index< 日誌 <ag儒教 u列島 < 24a-69くり返し 8 「日本の場合」p8 |
日本人の場合、それは、他人との間の思惑でもってそれが意識される。必ずしも自分の考えがあるとか、自分の信条に基づいているというのではない。 そもそも「これが私の信条だ」と公言したところで、結局は、要するにそれを利用して何か他のことを考えている。信条というのが飾りや口実、言い訳のための手段になっている。そうとしかならないのである。 なぜなら、もともと自分の考えというのが無いのである。むしろ、自分の考えなどあってはならないと思い込んでいるのである。なぜなら、自分の考えや信条といったものは、自分以外のだれか「偉い人」が決めてくれるものだからである。 |
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