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6、習性。


そうである以上それを認めるしかなく、認めないワケにはゆかないのである。これは意識的にも無意識的にもそうなのであって、そうせざるを得ず、そうやって自分を確かめると共に認めているのである。認めなければならないのである。

自分で自分を証明し、自分が自分であろうとするのである。しかし、それが本当に自分なのかどうかというのは、実際にはどうでもよいことなのであって、要は、大事なことは、そうやってしか自分を確かめられない、ということなのである。

始め、無意識の馴れや習性として始まったことが、いつしか、それが自分を確かめるただ一つの現実のカタチになっていて、自分が自分であろうとする限り、このような習性や習慣、シキタリやオキテに固執せざるを得ないのである。

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2019-0609-0618