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あるいはまた、そうしたことが自分の身体の中で随意筋と不随意筋、あるいは、意識的な体性神経と無意識の自律神経に分離しているのも、そうなのである。あるいは、始めは幼い子供から成長し、やがて成熟し、老いて衰退して行く肉体も、またそうなのである。 そして、そうしたことのすべては、自分の肉体の中で起こっていることなのであるが、それと同時に自分の精神は、これに直接かかわることがないのである。そして、そうしたことが正しく自分を意識し自覚する場面となっているのである。 自分の肉体が、自分でもどうにもならないという意味でそうなのである。そして、嫌でもそれを自分で意識せざるを得ないのである。現実に存在する自分と、それとは別の世界を生きている自分の精神を意識しているのである。 |