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9、限界線。


しかしまた、これが自分で自分を意識する場面となっているのである。 自分が、他人から与えられた肉体の限界を超えるキッカケとなっているのである。それは、肉体という自己の現実を意識する場面なのである。

肉体を離れて自己の精神が存在しないとしても、この肉体とは別の自分というのを、精神が意識し始めている。それは精神の世界での話なのであるが、現実の様々な場面で見ることが出来る。

例えば、思い過ごしの錯覚といったものが、偶然に果てしなく繰り返された結果、これがいつしか常識となり、あるいは、そうしたことの意識と生活スタイルといったものが、その結果として肉体自身の構造や形状を変化させたり、固定したりしているのも、そうなのである。

戻る。                続く。

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2019-0609-0618