index< 日誌 <av表情< 24b-04「筋肉の事情」p7 |
そして、これがまた、自分が自分を意識する場面になっている。すなわち、自意識と自己認識の場面になっているのである。自分が自分を意識している。自分が拠って立っているところの情緒のもっとも安定した状態で、自分が自分らしくあろうとするのである。 それは肉体の生理の営みといったもので、いつも日常的に無意識に行われているが、しかしまた、意図的・意識的にする場合もある。つまり、自分から進んで、自分が自分であろうとするのである。そして、そうした自分でなければならないと信じているのである。 このようにして、自分が自分として、日常の普通の状態に戻って行くことができるのである。そして、これが自意識と自己認識の場面になっているのである。それは自分にとって、どうしても必要なことなのである。そうすることによって、自分に対して存在の意味を見い出しているのである。 |