index< 日誌 <av表情< 24b-04「筋肉の事情」p7 |
このような普通の日常的な状態、このような平常心こそが自分があるべき姿であり、デフォルトであって、初期化された状態であって、本来の自分に戻った状態、本来のあり得べき自分自身の姿であると感じているのである。 たとえそれが誤解であろうと、偽善であろうと、あるいはまた、それが実際の現実的な意味があろうとなかろうと、そんなことはどうでも良い、関係のないことであって、何よりも大事なことは、このようにして始めて自分が自分であり得るということなのである。 そうして集団と社会の中での自分の居場所と立場を得ることが出来るのである。そして、そうしたことが自分自身の拠り所になっていて、そしてまた自分自身が信じるもの、信じなければならないもの、となっているのである。 |