index< 日誌 <p変異< 24b-10「続、交感」p4 |
そしてこれが、そこで生きる者の善悪や求めるもの、信じるものの現実の姿カタチを表現しているのである。そして、これがまた、自分たちの日々変わることのない日常の営みとなっているのである。 当初、本能や偶然の仕草に過ぎなかったことが習慣や作法となり、そしてそれがいつしか意識的で目的を持った、自覚されたシキタリや法律のシステムとなって行く。 そうしてのみ自分を意識出来るようになるからである。そうして自分を確かめ、認め、自分に居場所と理由を与えてくれるからである。そしてこのような意識を、自意識や自己認識と言っているのである。 それは越えてはならない「自分たち」のオキテなのである。そしてこのオキテが「自分たち」と他の集団を区別する境界なのである。言い換えると、ここで自分たちと他者が区別されているのである。 |