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3、習慣の無意識。


そして、それはまた同時に、ほとんど反射的で無意識になされる、様々な習性やクセといったものも、またそうなのである。しかし、習性やクセや習慣といったものは限りある動作であって、この限られた動作の中で、自分の中の正体不明の情緒を表現せざるを得ないのである。

だからこうしたクセや習性・習慣といったものは、どうしても必要なのであり、まただからこそシツケとして伝えられもするし、保存され、そしてまたそうした仕草の中で、自分のあり得べき心情や感情といったものを表現しようとするのである。たとえそれが偏見や迷信の誤ったものであるとしても、やはりそうなのである。

このようにして自分に納得し、自分を認め、安心し、了解し、現実の中での自分の存在を確かめているのである。そうせざるを得ないのである。なぜなら、それだけが自分だからである。自分にはそれしかなく、それ以外にないのである。そうして生きて行くしかないからである。

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2018-0707-0710