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5、限界。


むしろ、このような画一化されて限られた動作の中で、自分を表現せざるを得ないのである。あるいはまた、言葉や思考で表現される観念の世界自体が、そうなのである。画一化され、共通化されることによって、それが共有化されたのである。

しかしまた、そうすることによって情緒といったものの、その心理や心情といったものが特定されてくるのである。その意味といったものが自分にも知られてくるのである。

私たちは、そうした特定された範囲内でしか自分を表現し得ず、また、知ることも出来ず、その範囲内でしか自分も他人も理解出来ないのである。

戻る。                続く。

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2018-0707-0710