index< 日誌 <aj情緒< 24b-13「肉体が表現するもの」p9 |
さらにまた、ひるがえって考えて見ると、このように特定された自分の現実の動作と表情でもって、実は、自分自身の情緒の理由やワケといったものが知られてくるのである。 そういう制約された範囲内でしか自分というのを知り得ないのである。そしてまた、その範囲内で知ることが出来るのである。また、このように制約されるからこそ、それが特定もされ、それが持つ現実の意味や正体といったものが分かってくるのである。 そうした意味で表情や仕草といったものは、自分自身の表現手段であると同時に、それが自分自身の現実のすがたであることによって、自分が自分を知り理解する対象ともなっているのである。 |