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7、自分のすがた。


それは自分自身のすがたなのである。そしてこの現実のすがたを通して、自分の中にある情緒といったものの実体やその原理を知ることになるのである。そうした意味で、現実の自分の表情や仕草といったものは、自分自身の情緒が現実化したものと言える。

それは自分自身の情緒のすがたなのであり、そしてこの見える現実のすがたを通してしか、自分というのを知ることが出来ないのである。

自分を動かし、自分を存続し、保存し続けるこの情緒という、見えない必然の自律性といったものは、自分が生きている現実の、自分自身のすがたを通してしか知り得ないのである。

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2018-0707-0710