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それは、このような気まぐれと偶然を引き起こしている感覚の側から見ると、それはやはり必然的な結果としか言いようのないものなのである。 たとえそれが、どんなに気まぐれと偶然のように見えようとも、この偶然自体が、自分自身の感覚の感じ方なのであって、自分自身の感覚器官の機能そのものなのである。そして、これが意識の世界に映し出された、自分の感覚のカタチなのである。 自分という現実の肉体には、それ以外の感覚の感じ方というのを持たないのである。それは、自分の肉体の中の見えざる神経や生理の、迷走する連鎖の作用の結果なのである。 |