index< 日誌 < au錯覚 < 24b-35「現実の世界」p7 |
生存し、種として継続して行くことが出来る現実の可能性といったものが、このようにして、すでに現実の世界において方向づけられ、特定しているのである。 種として生きて保存し継続して行くということ自体が、すでにあらかじめ条件づけられ、制約され、そしてまた、きわめて限られた範囲で特定されているのである。 しかしまた、そうした自然環境や生態系のバランスや、あるいはまた、自分の中にある先天的な本能や習性、クセや種としての特性以上に、もっと本質的で深刻な事情がある。それは、自分が自分でもどうにもならない、ということなのである。 |