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自分の意志といったものが自分でもどうにもならず、言わば、自分の中に住んでいるもう一人の自分、得体の知れない他人のような自分に支配されている、ということなのである。 しかし実は、こうした自分が他人のように思えてくるというところに、疑う余地のない厳然たる自分自身の証明があるのである。それは自分の中の象徴でもあって、そしてこれが、自分が自分であることの確かな現実にしているのである。 自分が自分の中で分裂しているがゆえに、自分が自分を意識せざるを得なくなっている。自分のことなのに、自分でもどうにもならない、だからこそ、これが確かな現実として自分に迫ってきているのである。 |