index< 日誌 < au錯覚 < 24b-35「現実の世界」p7

4、現実の存在。


それは、自分とは別の世界であるという意味でそうなのである。そしてこれが自分の外の客観的な現実なのである。自分は自分でもどうにもならない現実という世界を生きていることを知るのである。

ということは、これが自分と外の世界を区別しているのであって、自分が自分を意識する場面になっているのである。そしてこれこそが、まただからこそ、これが自分の現実であると言い得るのである。

言い換えると、自分の中にあって自分でもどうにもならないという、このような自分の現実こそが、これを通して自分を現実の存在にしているのである。

自分ではどうにもならないというのが、それが自分とは別の現実だということなのである。そして、ここで自分にとっての主観と客観というのが分離しているのである。自分の現実と精神が別のものであることを思い知らされるのである。

戻る。                続く。


index< 日誌  au錯覚 < 24b-35「現実の世界」p7

2018-0710-0715