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これは自分の中にある、自分の肉体の情緒がそうなのである。神経や生理、分泌腺や内臓の無意識の作用といったものが、そうなのである。あるいはまた、感覚器官が持ち込んでくる、自分の意図や意識とは係わりのない、様々な外の世界に対する情報といったものがそうなのである。 そして、そうしたことは、自分自身を動かしている「種」としての肉体の構造と、その生理の営みといったものが求めているものなのである。それ以外のことは知らないし、知りようもないのである。 そうした意味で、自分というのはすでに先天的に与えられていて、特定され、方向づけられているのである。そして、このような自分でもどうにもならないということが、自分で自分を自覚する場面になっているのである。 |