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2、画一化。


もちろん、それが迷走し、ただ踊り狂い引っ掻き回すだけで、結局何も分からないまま終わるということも多々あるのであるが・・・。

あるいはまた、もちろん、そうしたワケの分からない手間のかかることをせずに、パターン化され、規格化・カテゴリー化された分類に従って、形式的・画一的に反応する場合もある。むしろ、始めからそうした傾向を持っている。自分が傷つかず、手間もかけずに通り過ごそうとすれば、それが一番良いのである。

また、そうしないことには迷走するだけで、何も分からず解決も出来ず、自分がそれに向けて何らかの行動をすることが出来なくなるからである。しかし、これでは手遅れなのである。現実について行けないのである。

だからたいていの場合、パターン化された習性や習慣に従って処理される。自分の反応の仕方というのが、自分の中であらかじめ設定されていて、画一化・規格化されているのである。そのためのシツケであり学校の教育なのである。

戻る。                続く。


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2018-0719-0725