index< 日誌 < au錯覚 < 24b-36思い込み@ 「国民国家」p10 |
従ってまた、この合理性自体が、人間の内面や精神性を問うものではなく、ただたんに表面的で形式的なものであることから、これに基づく規格化され形式化された人間関係と、そしてまた、人間同士の間のキズナといったものが正当化され、それが模範とされ、そして正義となり、強制力となって人間を支配している。(これは現在でも、こうした人間はたくさんいる) 言い換えると、上の者を真似て、それに似せて成り済ます、そうした人間が理想とされる世界である。また、このような人間が誰にとっても理解しやすく、統治もしやすい人間なのである。従ってまた、これが20世紀後半以降の日本の企業がもっとも欲しがった理想的な人間だったのである。 |