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そして、いつの間にか、それが本来持っていた動機や意味といったものは、もはやどうでもよい、自分とは関係のないものとなっているのである。しかしまた、そうやって自分を確かめ、自分を正当化し、自分を形成し始めるのである。 それは「行為」が本来持っていた直接の意味や動機とは無関係の、象徴や目印し、サインといったもので、そしてこれを自意識と自己認識の手段としているのである。 そして、そうした象徴は、もはや行為なしには自分というのを見つけられなくなっているのである。また、これこそが人間が作り出してきた自意識の世界なのである。 そうやって、私たちは自分が生きているという何かを感じ、あるいはまた、何かを見て・聞いて・触れて感じている。そうした自分にとっての現実の世界を作り上げているのである。 |