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そしてこの水色が、白いモヤによって見え隠れして、遠くにかすんで見える。そして「白色」とは水蒸気の色であり、それは優しい潤いが息づき鼓動する生命の色なのである。 だからまた、気になって仕方がないのである。見え隠れする白いモヤの向こう側に、いまの自分とは別の、もう一人の自分が居るのかも知れないと、そんな気がしてくるのである。自分にも、もっと他の生き方があったのかも知れないと思えてくるのである。 しかし、本当のところは、もっと他の動機で動いている。自分の意思や、意識的な意図や目的といったものとは関係がないのである。自分でも気づかないまま、自分の肉体がそれを求め、それへと向かっているということなのである。 自分の意思が届かない、自分自身の肉体の営みといったものが、自分をして否応なく、そうした方向へと自分を引っ張って行くのである。 |