index< 日誌 < au錯覚< 24b-44思い込みG 「感覚の誤解」p7

2、自分の都合。


そうしたことが途切れ途切れの現実のシルエットを、それとは何か別の、自分の中の妄想のイメージに仕立て上げているのである。何か見えないもの、見てはならないものを見ていると思えてくるのである。そうしたことを連想させるのである。

また、実際そのように見えてもくるのである。現実には「おぼろげ」にしか見えない、何か得体の知れないものがかすんで見えてきて、それが自分の中の記憶の世界で、それを認め、確かめようといているのである。

自分の中でそれだけが強調されて、誇大に拡張されてゆくのである。そしてそれを自分の都合の良いように解釈し、そのように見ようともするし、また、そのように見えてもくるのである。

戻る。                続く。


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2018-0719-0725