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4、別の世界。


しかし実際には無意味であること、そして目に見えるということ自体が、それ自体で表情やポーズに特別の意味、すなわち象徴としての意味を与えているのである。それ自体が無意味であるから象徴になり得たのである。現実の理由や原因から切り離されているからこそ、それが抽象化された象徴になり得たのである。

たとえば涙を流すのは、たしかに悲しくつらいことがあるからであって、だからこそ身体内部の生理がそのように働くのであるが、しかしまた、涙が出ること自体に何ら目的や意図などは存在しないのである。これは意識とは別の肉体の生理の作用なのである。

目的や理由などといったことは、本来、本人の意思や意識に係ることであって、涙を流すこと自体に意識が係わることがないのである。人間の意思や目的といったものは、肉体の生理的な機能とは別の次元の、別の世界の出来事だからである。

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2018-0725-0811