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そしてそれが乗り移り、取り憑き、留まり、そして「なりすます」のである。そうして、精神と肉体が不可分の一体のものであるかのように振舞うのである。しかしまた、それは、やはり別のものであると言わざるを得ない。 たとえ情緒であると言っても、あるいはまた精神であると言っても、肉体が死んでも、やはりどこかで生き続けているのである。かつてそれが生きていたという痕跡として、記憶の中で残り続けるのである。 だからまた、さ迷い、戸惑い、ためらいながらも乗り移り、取り憑き、「成り済ます」のである。成り済ますことが出来るし、成り済ますことによって、ずっと後々まで生き続けるのである。 |