index< 日誌 < l見えないもの < 24c-100カタチなき精神 「虚ろ」p5 |
言い換えると、直接的には何の意味も関係もない身体の動きが、情緒の表出に利用されている。なぜなら、それが手近にあって利用しやすく分かりやすいということなのである。 そして、それがまた、多かれ少なかれ、直接的にも間接的にも関連していることが多いということなのである。そして否応(いやおう)なく、それが情緒の表情とその表現であると信じられているのである。 たとえば涙は、悲しみと苦悶の印しであるとされる。しかし涙自体は、苦悶でないときにも確かに溢れでてきているし、それに涙自体は、心の苦悶とはもともと別の現象なのである。 |