index< 日誌 < v夢の中 d無意識< 24c-42「意識の背景」p7


4、指向性。

そうであるはずだ、そうでなければならないし、これがそうなのだと思い込もうとしているのである。しかし、実際のところ、これはどこか怪しい。

例えば、戦時中の言わば「集団主義の時代」には、それに見合う感情と行動のパターンがあって、それが模範とされ、そしてこれが戦後の民主教育になると、以前とは正反対の行動と感情の表現方法が模範とされた。精神主義から合理主義へ転向したのである。

しかしまた、このような表現方法が変わっても、それを生み出している情緒の背景や舞台は同一なのである。そしてこの同一の情緒のパターンでもって、それが演じられているのである。すなわち戦前も戦後も、そして今も、群れて迎合するという意味で同一なのである。

つまり、これは性癖というか、国民性とでもいったものなのである。情緒それ自身が持つ固有の傾向と指向性とでもいったものなのである。そのようにしか成れない、という意味でそうなのである。

戻る。              続く。

index< 日誌 v夢の中 d無意識< 24c-42「意識の背景」p7
2018-0915-0923