index< 日誌 < l見えないもの < 24c-74精神が現れるところH 「デフォルト」p4 |
情緒は、それ自体が何らかのカタチを持っていて、それで始めて情緒と言えるのである。表情や仕草やポーズがそれなのである。あるいはまた、自己の内部に向けられた内向感覚がそうなのである。 そしてこれが自分の中で無視できないものとして自分を脅かし、あるいは追い立て、誘導し続けているのである。しかしまた、この情緒といったものが自分でもよく分からないのである。 いったいそれが、何を求め願い欲しているのか、自分のことなのに自分でもよく分からないのである。だからまた、求め続けるしかないのである。そうして永遠の果てしのないかなたを漂い、さ迷い続けているのである。 |