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それは肉体が意思の緊張と圧迫から自由になる数少ない場面の一つなのである。この自分の意思からも、肉体の生理からも自由であること。ここからまた、その仕草とカタチといったものが、何らかの象徴やイメージとして現れてくる。 そしてそれを見る者をして、それだけで何かを暗示し象徴するものとして、実際の肉体の生理や動作とは別の、ただそれがイメージし象徴するだけの役割を持つようになったのである。 それは人間の場合、顔の表情にもっともよく表れている。当事者の心理状態を示すだけの客観的なバロメーターとして、何かしらの行動へといざなうスイッチやサインとしての意味を強めてゆく。 |