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2、どうにもならない。

しかし、そうしたことはすべて「印し」であって、標識であり、何かを暗示する目印しであり、前兆であり、そしてまた、何らかの行動へと促がすサインのスイッチなのである。

これら身体表面の表情や仕草といったものは、自分でも無意識の、肉体内部から自然に浮かんでくる肉体自身の営みなのであるが、それは習慣や遺伝、あるいは自分自身の肉体のカタチや構造から生じてくる、仕方のないことなのである。

しかしまた、この「仕方がない」ということが、自分の証明であり、根拠であり、「印し」となっているのである。そうやって自分を認め、自分で自分を見ているのである。逆らうことも、逃げることも出来ない、そうした自分でもどうにもならない、自分を意識しているのである。自分でもどうにもならないというのが、自分であることの証明になっているのである。
戻る。             続く。


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2018-1010-1122