index< 日誌 < aj情緒 < 24d-04「情緒と感情」p5 |
自分でも理由が分からないまま嬉しくなったり、わずらわしくなったりしているのである。だからまた情緒そのもの、情緒それだけでは何一つ確かなことが分からないのである。 どこまで行ってもボンヤリしたままで捉えどころがなく、ぼやけたままなのである。あくまでも閉じた自分だけの世界なのである。だから、いつまでたっても何も分からないまま、理由が見い出せないのである。 だから理由を求めて、自分で自分の外へ出て行かねばならない。そして、このような情緒の要求が感情を生み出しているのである。 |