index< 日誌 < aj情緒< 24d-16「閉じた世界」p7 |
すでにある現実の型の形式の中でしか、自分を表現し得ないというのは、たいていの場合、それだけで終わってしまう。それがホントに自分に適うものかどうか、というのが自分でも分からず、知りようもないのである。 しかし、これをもっと正確に言うと、自分にして見れば、そんなことはどうでも良いことなのである。自分に合うかどうかに関係なく、その中で生きて行く以外になく、そうした自分でもどうにもならない余計なことは、だれもしないし、悩んだりもしないのである。 もともと自分が誰なのか分からないから、現実の世界に出てきているのであって、すでにある現実の型の形式に自分が乗り移り、取り憑き、そしてそれでもって自己を表現したところで、果たしてそれが本当の自分なのかどうかというのは、自分でも知りようがないのである。 |