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あるいは、感情はその表現として肩をいからせたり、すくめたり、目を相手に向かって睨むといったことでも、それに関連する様々な筋肉や生理作用の結果として、それが肉体表面の動きとして現れているのである。 これは本人がそれを意識していなくても、自分でも気づかない内に、そうした表情やポーズとなって現れているのである。こうしたことは、ある行為や動作の予兆として必ずどこかに表れていて、また、そこから予測することによって、私たちは、それを現実の人間関係の上で役立てているのである。 ということは、本来、ある行為や意志とは直接関係のなかったものが、それを予測し暗示するものとして、私たちは無意識の内に受け入れていて、これがまた、自分たちのコミュニケーションの一部分になっているのである。 |