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従ってまた、当初なんらかの現実的な必要から、ある行為やそれに伴う表情とポーズといったものがなされ、そしてそれが常時反復継続されると、そうした行為や身体の表現そのものが、その情緒を表現するカタチとして定着して行く。それ自体が象徴とサインのポーズと化してゆくのである。 また、自分でもそれが意識的にも、無意識的にも了解し得るもの、納得し得るもの、そうでなければならないものとして思えてくるし、また、そう思おうともするのである。それが自分の存在である以上、それは正しいものでなければならないのである。 しかし、情緒と、自己の現実の存在とは別のものなのである。情緒は自分のものであるとしても、肉体は自分で選べないのである。肉体は他人から与えられたものなのである。 |