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3、自分であるために。

だからまた、私たちは見える現実の世界を通して、自分自身の精神の世界を見ているとも言えるし、またそれ以上に、そうした感覚の感じ方、見え方、機能の仕方、その形式のパターンを通して、自分自身の種としての同一性と特殊性を見ているのである。

そしてこれをもって自分自身の精神と肉体の同一性を見ている。そして嫌が上にもそれを知り、意識せざるを得ないのである。それは統合された自分自身の精神のすがたなのである。

もちろん、それはいまだ意識も自覚もされてはいないけれども、そうした方向へと向かわざるを得ないのである。そうするしかないのである。なぜなら、自分が自分であるためには、それ以外に自分を確かめる方法がないからである。

戻る。             続く。


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2019-1014-1022