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しかし、ここでもう一つ注意しなければならないのは、ではいったいなぜ、このような象徴といったものが自分にとって、そして相手に対しても、また、関係のない誰に対しても、同じ肯定のカタチの同じ動作として、共通の仕草として表現され、理解もされるのか、ということである。 その理由は、自分も相手も、そして第三者のだれもが、みな同じシステム依存する、同一の種であるということである。言い換えると、この同じ種の中においてのみ、同一の生理や神経の作用として、そうした表情が現れ表現されるということである。 つまり、自分の感情や情緒といったものが、同一の種という同じシステムの土台の上で営まれていて、そうである限り、これが同一の種なのであって、相手や、そして相手を含めた誰にとっても、同じ生理の同じ表情として現れてくるということである。 |