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そしてまた、このような交流の中においてのみ、気分や情緒のカタチといったものが取捨選択されていって、それがまた、現実の社会と歴史の中でカタチとなって残り続けて行くのである。 そしてこれが現実の世界に映し出された自分自身のすがたなのである。自分というのが現実の世界に出て行って、これが現実を見える世界として自分に映し出しているのである。 たとえるならそれは、社会という鏡を通して現実の自分のすがたを見ているのである。それは、自分というのが外の世界に反射して映し出された、自分自身のすがたなのである。現実の見える感覚も、そして頭の中の思考の世界もまたそうなのである。 |