index< 日誌 < d無意識 < 24E-44快と不快・「指向性」p6 |
そうしてのみ、現実の出来事といったものが単純に「快と不快」として区別されると共に、「快と不快」として意識されているのである。ということは、また同時に、その原因や理由といったものが現実とは直接の係わりを持たないということである。 それは現実の実際の経験や理由を問わない。それらとは無関係のものとして「快・不快」といった純粋の感覚の世界が、自分の中で生み出されているのである。そしてそれを自分でも意識し感じてもいる。これが自分にとっての情緒であり、感じ方でであり、自分の中の無意識の世界なのである。 |