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3、自分の基準。

同時にまた、そうした無意識の世界が、現実の世界を快と不快に分別している。そしてまた、そうやって、それを感じている自分を意識すると共に、自覚もしているのである。観念の世界を生きる抽象的な自分が居るのと同時に、現実を生きる自分が居るのだと。

例えば同じ快でも、違う異質な快があるのだと。そしてそれを現に感じている自分がいるのだと、それが嫌が上にも意識されてくる。それは、「快・不快」の基準そのものが個人にとって誤差があるからである。

しかしまた、そうしたことが自分にしかない、自分だけの個性や自意識になっていて、それが自分と他者とを区別もしていて、同時に現実世界の何もかもすべてを、このような自分の基準に従って見ているのである。

戻る。             続く。


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2020-0215-0218