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そうした自分を意識してもいるし、またそうやって現実世界を自分にとっての世界として観念化しているのである。見て触れて感じる現実世界のすべてを、こうした自分にとっての快・不快を基準にして仕分け分類し、識別して関連付けているのである。 もちろん、これは他人から見ると偶然の錯覚なのであるが、しかしまた、そうしたことの積み重ねが、自分の中で現実の世界といったものを観念化しているのである。 偶然の錯覚がもたらした思い込みの印象と象徴に過ぎなかったものが、それらが無限に積み重ねられて行って、拡がり、繋ぎ合され、関連づけられて行って、そうして自分の中で観念の世界を生み出しているのである。 いったんこうしたことが始まると、現実世界の出来事のすべてが「快と不快」によって説明され、知られ、感じられ、理解もされてくる。このようにして、「快と不快」よって現実世界が秩序づけられ、関連づけられ、このような見かたや感じ方でもって何もかもが見えてくる。 |