index< 日誌 < d無意識 < 24E-46快と不快・「選ばれた人間」p6 |
そしてこれが自分と自分たちの自意識であり、アイデンティティーであり、自分が世の中で拠って立つところの根拠になっているのである。だからまた、ただそう思うだけでなく現実の行為が、それも常時継続して行われる必要があるのである。 これは形式的な儀式なのであって、そしてまた自分には、それ以外に自分を認めてもらう方法がないのである。だからまた、そうするしかなく、そうであり続けなければならないのである。 これを偏見という人もいるけれども――偏見は偏った考え方であって、差別はその行為なのであるが――、このような偏見自体が本人の立場と利害の関係から出てきているのであって、この意味では、それは主観的な錯覚に過ぎないのである。 |