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動機と手法、対象といったことのすべてが実証する側の人間によって選択され、この時点で歪められている。あくまでも個人的な偏向と願望に基づいている。そしてそれを正しいこととして、どこまでも証明しようとするのである。 しかし、学問自体がすべてそうなのである。要は、そうしたことの「ごった煮」の中から客観的で普遍的なものが取捨選択されて行くということである。 しかしこの取捨選択ということ自体が、時代という現実のバランスが決めているのである。だからこれもまた疑わしいのである。だからやはり、そうした現実に影響されにくい昔話しとか言い伝え、神話や怪談などと言ったものが、より確かで正直なのである。それはより本質的な精神の世界を直接に言い表したものなのである。 |