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また、このような世界で、そうした実証的な歴史研究が出来るというのは、そしてそれが「認められる」というのは、ヒマとおカネの余裕がある人間である。少なくとも今日の妻子の晩飯代を、文字通りどんなことをしてでも稼がねばならない、そうした制約から解放されている、そうした余裕のある人間がすることである。 そういうタイプの人間は、社会の底辺から上の人間であって、底辺の下の人間は含まれていないのである。つまり、「底辺の下の人間」の考えや現実は無視されるということである。たとえば20世紀中ごろまでの歴史家は欧米人の立場と利害を反映したものにならざるを得なかったのである。 |