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2 最適化。



たとえば、カラダの筋肉は、まんべんなく、ムリなく、バランスよく動かすことが気持ちよく感じられる。それは筋肉だけが知る肉体の感覚である。例えば、体操がそうであり、水泳がそうである。また、楽しむことで身体がリラックスするという意味では、ダンスやゲームなどもそうである。

ムリのない適度の全身運動、それはカラダが求める最も気持ちの良い動きであり、リズムなのである。カラダの筋肉は、そのように発達してきたのであり、また、そうした方向性を始めから仕組まれていて、条件づけられているのである。だから、このような肉体の必然の方向に適ったカラダの動かし方が、最も気持ちよく感じられるのである。

それは本来、もっともあり得るべき、最適化され、標準化された肉体のリズム、その動きといったもので、あるいは音色(ねいろ)とか、昇って溶けて行くまばゆい光の中にいるようなものである。どこか遠くで失われた、自己の記憶の世界を見ているのである。それは、それとハッキリと自覚されることのない、肉体の記憶、感覚の感覚、情緒の世界なのである。

戻る。            続く。




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