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そうした意味での情緒は、すべての感覚について言えることであって、むしろそうした、触覚や聴覚や視覚や味覚などといったもの、そしてこれに、自身の身体内部に対する内部感覚が作用する、そうした様々な感覚が統合され、バランスされたアンサンブル、音色、リズムといったものが「情緒」なのではないだろうか。 それは、自分自身の肉体の必然なのであって、流れでもあり、求めるところなのである。そしてまた、そうした「情緒」というものが、その民族特有の、美意識や感情のあり方、気質や気性などに深く関係していると思えてくるのである。あるいは、その根底に あって、それらを規制し支配している実体のように思えてくるのである。 このような「情緒」こそが、その民族の生存と継続の基にあって、それと一体となって、民族のシステムや生産と文化の様式を形づくり、そしてまた、歴史の転換点において、その対応の仕方や方向性を決定づけてきた必然の原理のように思えてくるのである。 それは、人間の無意識の世界を支配している、生理や感覚のバランスなのである。そしてそれがまた、自己と、そしてまた民族のアイデンティティーの根源なのである。 |