index < 日誌 < ad色< 「色」p7/ |
山野を彩り、覆い尽くす、枝葉や草花の、つまり植物の色というのは、人間が見て、感じ、そして意識する直接の色なのである。それはペイントの合成された人工の色ではなく、天然の色である。変化し、移行し続ける四季の、直接の色である。時間の経過とともに移って行くのである。色も形も、そしてその機能もそうである。あるいは、色もカタチも機能も本来一体のもので、それを様々な角度から見ているのに過ぎないのである。 だからまた、変化のほとんどない空や、土地や、石や、海や、川の「色」などといったものは、言わば、変化のない背景に過ぎないのである。変化する山野の彩りの、背景や下地、キャンバスに過ぎないのである。もちろん、それ以外にも炎や虹(にじ)なども確かに色を持っているが、それは一時的であったり、幻のようなものに過ぎないのである。 だから人間が直接に、天然の自然に何か「色」を感じるといった場合、それはやはり、植物や動物の色がほとんどではないだろうか。なぜなら、それは変化しつつ移って行くからである。変化しながら周りの自然環境と深く関わって、関係して、連動してゆくからである。 |